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身形神社 みかたじんじゃ 東秩父村

身形神社
鎮座地 東秩父村安戸872
電話番号 0493-82-1059 宮司宅
祭神 市杵島姫命、多記理毘売命、湍津姫命、須佐之男命 (いちきしまひめのみこと、たぎりひめのみこと、たぎつひめのみこと、すさのおのみこと)
お祭り 元旦祭(元旦)、祈年祭、星祭(3月3日)、夏祭(7月20日)、例大祭(10月17日)

秩父神社の中姉(なかつぇい)の妙見さま

当社は現在帯沢の地に鎮まっているが、古くは御堂村小名宮地に鎮座していた。移転した理由は、槻川(つきがわ)の流れが変わったためで、かつて槻川は御堂の耕地中央を流れ耕地を二分していた、その為現在も耕地中央部では往時の河跡を示す川砂が出る。今は槻川が山岸を流れ帯沢と宮地は地続きとなった。 祭神は、市杵島姫命・多記理毘売命・湍津姫命の三柱であるが、江戸時代までは妙見社として祀られ、今でも村人は妙見様と呼び、更に「ここの妙見様は、秩父神社の中姉(なかつぇい)だ。」と云う。また、口碑によれば、妙見様は三姉妹で、長女は小川町木部の三光神社、次女は当社、三女は秩父神社であるとも云う。明治になり、妙見社から身形神社に社号が改められたが、この身形の名の由来は明らかではないが、一説には三女神を示す三形ではないかとも云われる。 内陣には、妙見神立像が祀られ、その台座裏には「奉納御寳前諸願成就所 天明2年(1782)寅天成福寺 7月28日當所氏子中」とある。また、同年成福寺総代護守清右衛門より鏡が奉納されている。この他棟札も現存し、寛政6年(1794)に社殿を再建し、当時の氏子は35名であったことが確認できる。尚、天明2年(1782)の棟札にその名が見える別当の真言宗成福寺は、明治初期に廃寺となり現存しない。 昭和9年(1934)に字帯沢の八坂社が合祀された。 平成28年7月、妙見神立像及び厨子の修復がなされた。

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